数日前のこと。
大学の近くの歩道で、一緒に翻訳本を作ったこともある、けっこう親しい編集者さんにすれ違った。
大学の某先生のゼミ生たちと一緒に、向こうから歩いてきていた。
久しぶりだなあと思いながら近づいていくと、目が合って、向こうも気づいて挨拶を交わした。
でもそのまま、その編集者さんは学生さんの一人と話をしながら、歩いていってしまった。
会うのは1年ぶりぐらいだし、でも一緒にする予定の仕事もあったので、
(というか、私の方の作業が進まず、待たせまくっているので)、
ちょっとその集団から抜けて立ち話をすると思っていたので、
なんで挨拶だけでいってしまうんだろうと、びっくりしてしまった。
学生さんとの議論が白熱している途中だったからかな?と思ったり、
某先生の本を作る打ち合わせがあるので、抜けにくかったのかな?と思ったり、
私があまりに原稿を待たせているので、愛想をつかされてしまったのかな?と思ったりしながら、
まあ、メールでもくるだろうと思っていたけど、夜になってもこなかった。
そして、ベッドの中に入り、眠けが襲ってきた頃、はっと気づいたのだった。
私が編集者さんだと思っていた彼は、去年私の大学院の講義を1年間受講していた学生さんだったということに。
そういえば、その学生さんは某先生のゼミ所属だと言っていたし、
社会人でもあり、一般の学生より落ち着いた雰囲気を持っていた。
実は講義のときから、その編集者さんとよく似ているなあ・・・とは思っていたのだった。
顔だけでなく、体格とか、しゃべり方とか、立ち居振る舞いも似ていたので、よけい間違えたのかもしれない。
私から凝視(?)されて不思議に思ったかもしれないので、
その学生さんには、お詫びのメールを送っておいた。
それにしても、この1年あまり、自分の記憶力が落ちていることはよくわかっていたが、
ここまでひどくなっているとは・・・と情けなくなってしまった。
でもこれからもっと歳をとり、老化が進んでいけば、そうやって後で気づくことさえなくなり、
失礼なやつ!とその編集者さんを思い続けているのかもしれない。
そうやって思い込みが続けば、頭の中には新たなリアリティがつくられていくのかもしれない。
それが幸せなことなのかそうではないのかは、
予想外の反応が相手から返ってきたとき、それをどう解釈するかによるんだろう。
なるべく物事を善意に解釈する癖を、今からつけておきたいものだと思った。
ちなみに、前回のアエラの編集者さんからは、丁寧なお手紙を、後でいただきました。
批判のつもりじゃなくて、新聞だと時間単位で、週刊誌だと一日単位で、締め切りに追われてたいへんだなあと思って、研究者はまだましかも・・・と思ったのでした。
それから、熊谷晋一郎さんの『リハビリの夜』の書評、書きました。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=81246
で読めます。
ぜひ本も読んでみてください。
ちなみに、熊谷さんと綾屋紗月さんの共著『発達障害当事者研究』も、とてもいいですよ。おすすめ。