3月19日朝のニュースで兵庫県を中心とした関西広域連合が、避難所ごと、被災者を兵庫県などの避難所に受け入れるという表明を聞きました。
画期的です。とくに「避難所ごと」というのがすばらしいです。
さすが阪神大震災の経験者たちです。
「避難」や「疎開」は、非常に重要なのですが、
コミュニティの絆を残しておかないと、
物理的に安全にはなったとしても、あまりの周囲との「世界」のギャップにショックを受け、孤立感やサバイバーギルトを深めます。
(コミュニティ内の多様性や齟齬の問題ももちろんありえますが、いまはちょっとおいておきます)
他の市町村も、ぜひみならってほしいし、みなさんもそのことを心に留めておいていただけるとありがたいです。
また周囲の方々、行政の方々にも伝えていただきたいです。
阪神大震災も経験された、甲南大学の森茂起先生から、
「完全にコミュニティーが破壊された町が多数あるようで心が痛みます。
長期的な支援にかかわることと思いますが、震災前の生活の記憶を共有する方々がばらばらにならないような形で生活再建がなされることが重要だと思います。
これだけの壊滅的な被害のなかで、生き残った方々の絆は最大のレジリエンスの資源ではないでしょうか。
阪神淡路大震災の際に、元の地域を考えない仮設住宅への移動、仮設住宅で築かれたコミュニティーを考えない復興住宅への移住が、多くの方の回復を妨げました。
これからどこに生活の拠点を置くのか想像するのが難しいですが、ぜひこのあたりの配慮がほしいと考えます。どこに訴えればいいのかわかりませんが、とりあえず頭に浮かびましたので記してみました。」
というメッセージをあるMLでいただきました。
私も阪神大震災のとき、関西に住んでいて、神戸の悲惨さと大阪のデパートなどの普通さというリアリティの違いに、ショックを受けました。
被災地の状況がひどければひどいほど、「普通の生活」が他の地域で行われているのを知るのはつらいです。
そして、被災地に他の人たちを残して、自分たちだけ「逃げてきた」と思うこと、陰口を言われたり、あからさまに言われたりすることは、精神的に非常に消耗をもたらします。
また、物理的に安全な場所に行けば安心するはずと思われ、個別に移るのは嫌だと被災者が言うと「わがまま」とみなされがちなのですが、親しい人との絆、おそろしい経験を共にした者の絆は、安心感を維持するのに、非常に必要です。
今回は広域で被災者が多く、医療支援グループも少しずつ入り始めていますが、まだまだ物資と交通、ガソリン不足などで、困難を極めています。
そのため、一時的な「避難」や「疎開」がこれから進むと思います。
精神科他、医療のニーズも、「疎開地」に変わっていくだろうと思っています。
あまり悲観的にはなりたくないですが、
今後、アルコール依存が増え、DVや虐待、性暴力が増える可能性も、正直あると思います。
いろんな取り組みを考えていきたいと思います。