大学の講義の開始は2週間延びて、4月18日からになった。でも少し気になって、4月初めにゼミで一度集まることにした。もちろん帰省などをしている学生もいるので、希望者だけである。ちょうど、新しいゼミ生の選考日とも重なったので、初顔合わせも多い。
それぞれが、3.11以降の自分の経験や感じたこと、考えたことをシェアした。
安否確認は早めに行っており、みんな無事だったことは知っていた。
けれど、無事だったというのは結果的にそうだったというだけであって、それぞれ、けっこう怖い思いをしていたことがわかった。
大江戸線の新宿駅のホームで地震にあった学生がいた。ひどい揺れと、ミシミシとなる建物の音に、ここで死ぬんだ、と思ったと言う。そして、生き延びたとしても、チリの炭坑の人たちのように地上から食べ物をもらうことになるのだろうか、と想像したと言う。
大江戸線は、地下深く潜っているので、私は日頃から極力乗らないようにしてきた。地下は地震にはむしろ強いと聞くけれど、阪神大震災の直下型地震の揺れを経験すれば、そんな言葉を信じる気にはなれない。
やむをえず大江戸線でしかいけないところに行くとき、エスカレータでえんえんと下っていきながら、上がってこられるんだろうか、という思いがわく。身体全体が「やめておけ、やめておけ」といっている感じがする。エスカレータを歩いて降りるという身体の運動によって、その思いや感覚をむりやり封じ込める。
都会に住むということは、心の奥のささやきや、身体の警告を無視し、徐々に麻痺させていくということだと思う。
これだけもろいということがわかった東京という街で、わたしたちはいつまで「麻痺」を続けるんだろう。